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Story2 早わかり!幻の江戸城天守

東京の真ん中で、いまは皇居として悠然と佇んでいる江戸城は日本最大の城。
かつて、壮大な城郭の中心には、将軍の威光の象徴「天守」の姿がありました。

江戸城天守の歴史はわずか50年

 1603(慶長8)年の江戸開府からほどなく、徳川家康は本格的に江戸城と城下の建設に着手。諸大名を動員した天下普請は秀忠・家光へと引き継がれ、30余年にわたり続けられました。天守は1607(慶長12)年に慶長度天守が創建され、その後二度修築されていますが、三代目の寛永度天守は1657(明暦3)年、明暦の大火で類焼。以後、再建されることはありませんでした。

江戸城天守はここにあった!

現存する天守台は明暦の大火の翌年に再建されたもの。
御影石を使い当時の最高技術で築かれています。

1607(慶長12)年 慶長度天守造営
1623(元和 9)年 元和度天守造営
1638(寛永15)年 寛永度天守造営
1657(明暦 3)年 明暦の大火により天守を含む
本丸、二の丸などを焼失

天守始普請の儀、当分御延引然るべし

 万治2年(明暦の大火から2年後)、幕閣では江戸城天守の再建計画が議論されましたが、被災者の早急な救済と民生安定、江戸市街の災害復興を最優先課題として延期されたと伝えられています。
 時の将軍、徳川家綱の叔父にあたる会津藩主・保科正之は、「多くの武家・町家の復興にかかっている状況では、公儀の作事を長引かせ国財を費やすべき時節ではない。当分延期するべきである(日新館叢書『千載の松』より意訳)」と進言し、天守の再建は沙汰止みとなったと記録されています。

江戸城天守の高さはどのくらい?

 寛永度天守の高さは約45m。天守台を加えると約58mになります。また、本丸の地面は標高20mのため、天守の頂点は標高約78m。高層ビルなどなかった江戸では、まさにそびえ立っていたことでしょう。

 時は太平の世、天守は戦に使われることはなく、城の象徴であり統治の象徴でした。
 将軍の威信をかけた江戸城天守は、並ぶもののない規模と豪華さでなければならなかったのです。

よみがえれ、日本文化のシンボル

 いま、江戸城天守を伝統工法により木造で再建する計画が注目されています。360年の時を超えて、江戸城天守が蘇ったら。日本の歴史や文化のシンボルとして、また日本の誇りを後世に伝える遺産として、東京の真ん中に歴史的ランドマークが誕生するかもしれません。

江戸城寛永度天守の復元図(CG)
提供:認定NPO法人 江戸城天守を再建する会

近世天守の集大成「江戸城寛永度天守」

 江戸城寛永度天守の各階平面図と断面図(縮尺100分の1)。一階から五階までを一定の逓減率で積み上げたシンプルな構造で、内部に多くの通し柱を用いるなど、当時の木造耐震建築技術の粋を集めたものとされています。

江戸城御本丸御天守閣1/100建地割
(東京都立中央図書館特別文庫室所蔵)
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